演奏会によせて
日本を代表するヴィオラ奏者で、元・NHK交響楽団首席、東京藝術大学教授の川﨑和憲さんが昨年12月3日に逝去されました。6年ほど前、肝臓にガンが見つかり、手術と療養を繰り返しながらも、大学での仕事と演奏活動を立派にこなされ、この春からは治療に専念するため、定年より1年早い退職を決められていたところでした。
川﨑さんと私は同じ昭和30年(1955年)生まれ。1月生まれの私が1年早く藝大に入学しましたが、ヴィオラの物知り藝高生(いわゆるクラシックオタク)として川﨑さんは藝大生からも一目置かれる存在でした。彼が大学に入学し、同じ学年にチェロで入学してきた文屋治実さんたちとともに弦楽合奏をやろうという事になり、一つ学年が上だった私もコンサートマスターとして誘われました。当時、イタリアのイ·ムジチ合奏団のヴィヴァルディ「四季」がたいへんなブームで、イ·ムジチを初めとして数々の合奏団が来日し、指揮者なしの弦楽アンサンブルは我々の憧れでした。弦楽器の材料でもある「楓(かえで)」のイタリア語L’acero からラーチェロ室内合奏団と名付け、授業の終わる午後5時過ぎから、練習を始めました。
たまたま集まったメンバーの多くが、下宿生、つまり地方出身者で、旭川出身の文屋さんから、佐賀出身の川﨑さんまで、ほとんど日本列島を縦断できることがわかり、夏休みや冬休みに、メンバーの地元を演奏旅行で回ろうという壮大な計画を立てました。結成して2年以内に、覚えているだけで、旭川、札幌、弘前、横浜、東京、冨士、刈谷、名古屋、大津、京都、和歌山、広島、佐賀などを演奏して回りました。そうした目標があったこともあり、放課後のリハーサルも熱のこもったものでした。ただ、お互い大学1,2年生でアンサンブルの経験も無く、指揮者や指導してくださる先生もいらっしゃらなかったので、試行錯誤や失敗を繰り返しながら、音程の取り方や 声部間のバランス、アーティキュレーションの大切さなど、普段のソロのレッスンだけでは得られなかった貴重な経験を積むことが出来ました。私自身、その後の演奏活動や、教育の場でのノウハウの多くをラーチェロでのリハーサルや演奏旅行で学んだと思っていますが、川﨑さんや、他のメンバーにとっても同じではないかと思います。そして川﨑さんが、クラスの学生だった中村翔太郎さん(現在、NHK交響楽団で首席代行)に、学生時代のラーチェロの話をして、彼が同学年の 有志で始めたのがTGS(Tokyo Geidai Strings)です。
彼らは、2011年3月に川口市民会館で、私がプロデュースしたコンサートでデビューし、実はTGSという名称も、私が当時、人気絶頂だったAKB48をもじってTGS24(その演奏会では24人のメンバーでした)とシャレで名付けたのがきっかけです。TGSは、その後も積極的に活動を続け、メンバーそれぞれが、いまや日本の音楽界の中堅としてソロや室内楽、オーケストラで活躍していることは心強い限りです。川﨑さんと音楽づくりの基礎を一緒に学んだラーチェロ室内合奏団のメンバーと、川﨑さんの経験談に触発されたTGSのメンバーが、世代を超えて、想い出深い旧東京音楽学校奏楽堂で心を一つにしてバッハ、レスピーギ、ドヴォルザークの名曲を川﨑さんに捧げたいと思います。
ヴァイオリニスト 澤 和樹